【第6回】再チャレンジ受験を目指すも、コロナ禍に翻弄 名古屋で知り合った夫と再来日〜レッドリン・グラパさん(6期 フィリピン)

EPAを経て、准看護師として働きながら翌年の看護師国家試験を目指していたレッドリンさん。フルタイムで仕事をしながらでは受験勉強ができないと判断して、退職し、帰国。フィリピンで再チャレンジ受験の準備をする決断をしました。

はじめに、EPAと再チャレンジの経緯を教えてください。

はい。私はまずEPA看護師候補者として働き、2018年に准看護師の資格を取得しました。名古屋の病院で働いていましたが、仕事を続けながら国家試験の勉強をするのは非常に難しくなりました。集中して勉強したいと思い、一度帰国することにしました。名古屋で出会った夫は、デンソーから出向していたエンジニアで、同じ年に彼も帰国したのを機に交際を始めました。彼が日本で働きたいと思っていたこともあり、私も日本での国家試験合格を目指して勉強を続けました。

試験勉強中、どのようなサポートを受けられたのですか?

(サルヴァドール)千鶴先生に大変お世話になりました。ネリーさんやジェニファーさんと一緒に勉強し、励ましあいながら学習することができたのは励みになりました。

Q. 国家試験の再受験について教えてください。

2020年2月に渡日して国家試験を受験しました。また、そのときは(米野)みちよ先生の研究会にも参加し、インドネシアからの再チャレンジ受験生たちとの交流の機会も得ました。
2021年はコロナ禍であり、同居している家族に高齢者や乳幼児がいたことから、あえて国家試験を受験しませんでした。ただ、勉強は継続していました。
2021年秋には2022年2月の試験に出願しました。自分では合格できそうだという手応えもありました。しかし、試験の1か月前(1月12日)に厚生労働省から「入国許可が出せないため受験できない」という通知を受け、とても悔しく思いました。その年は特に努力していたので、失望感が大きく、千鶴先生とともに号泣してしまいました。渡航費をサポートしてくれたSさん、無償で勉強を見てくださった千鶴先生には、今でも深く感謝しています。

ご結婚とお子さんについて教えてください。

2022年10月に結婚しました。当時は日系の医療通訳派遣会社で働いていたのですが、その後、NCLEX(米国看護師試験)のサポートがあるアメリカのBPO企業で働きながら試験に合格しました。2023年8月には第一子を出産しています。2024年1月には夫が静岡で職を得て来日し、同年7月、私と息子も静岡に移りました。そして2025年5月、夫の転職を機に東京へ引っ越しました。

子育てについて、日々どのようなことをされていますか?

息子は外が好きな子なので、毎日公園に連れて行くようにしています。ある日、夫に半日だけ息子を任せて公園に行ってもらったところ、思い切り走り回らせたせいか、その夜に高熱を出してしまいました。夫は「自信がない」と言うため、実際には私が中心になって子育てをしています。週末には家族で教会やスーパー銭湯、テーマパークなどに一緒に出かけて、息子の成長を楽しんでいます。

今を振り返ってみて、これまでの経験から何を得ましたか?

振り返ると、EPAで来日してから、再チャレンジの受験を試みた時期がコロナ禍と重なったのは、とても悔しい経験でした。ただ、日本での研修、病院での勤務、受験勉強を通じて、日本の保健医療実践や日本語のことばなど、多くを学びました。これらは日本での子育てにもとても役立っていて、今の私にとって大切な財産だと感じています。

将来に向けて、どのような希望や目標を持っていらっしゃいますか?

将来、子どもの手が離れたら、さまざまな形で社会に貢献したいと思っています。看護師としての経験を活かして、看護、ヘルスケア、教育、通訳など、いろいろな分野で力を発揮できれば嬉しいです。

インタビュー 2025年4月12日および5月3日  フォローアップ 同年9月18日

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