【第1回】ベトナムで後進の指導にあたる 元EPA看護師トゥ フオンさん(ベトナム)

EPA帰国者紹介

本プロジェクトには、キックオフミーティング (2020年1月)から参加し、2021年9月の会合「外国から見た日本の看護〜口腔嚥下ケアを中心に」では、ベトナムの看護の状況を発表してくださった元EPA看護師トゥ フオンさん。

ベトナムに帰国後は、看護大学で後進の指導に当たる傍ら、大学院で褥瘡(じょくそう)の研究もしておられます。EPA看護師として日本に滞在中に、日本での褥瘡の手当に感動しました。

看護師を目指したきっかけを教えてください。

小学校の時に父が病気になり、家から約70キロ離れた病院に入院したことがきっかけでした。ベトナムでは、看護師や医師が患者の身の回りの世話をしてくれません。そのため、母も父に付き添い、家を留守にする時期が続きました。その時から次第に「医療従事者になりたい」という気持ちが湧いてきました。

どのような経緯でEPAに応募したのですか?

首都ハノイにある4年制の看護大学を卒業後、出身地に戻り看護師として働き始めました。働き始めて約2年が経過した時、たまたま見たニュースでEPAの制度を知りました。

インターネットで調べたら、無料で参加できると知り、2013年10月に応募しました。無料と知った時はびっくりして、「嘘じゃないか」とさえ思いました。

出国前の研修は振り返ってどうでしたか?

大変ではありましたが、いま振り返ってみると、経済的な心配をすることなく勉強に集中できた良い期間でした。

どんなスケジュールで勉強していたのですか?

朝8時から正午まで勉強した後に昼休み。それから午後1時から午後5時まで勉強。夕食を挟んで午後8時から午後10時まで、さらに勉強。午後11時に就寝して、翌日朝6時に起きる。そんな勉強漬けの寮生活でした。試験前には朝3時まで勉強する人もいました。日本の看護文化に関する授業や演習も受けながら、半年で日本語能力試験N3級に合格、1年後にN2級に受かりました。

日本にはいつ頃来られたのですか?

ベトナムからのEPA 2期生として2015年5月に来日しました。空港に着いた時、空気が綺麗で「ベトナムと違う」と感じました。

いつから病院で働き始めたのですか?

2015年8月、山口県下関市にある昭和病院に就職しました。職場には国家試験に合格したインドネシアやフィリピンのEPA看護師・介護士がいました。そこにベトナムから私と友人の2人が加わりました。

院長や看護師長などの皆さんがEPA介護・看護師との交流グループを作ってくれたことが嬉しくて印象に残っています。2―3ヶ月に一回は日帰り旅行へ連れて行ってもらいました。

病院での勉強時間はどのくらいありましたか?

私の勤め先は、勉強時間を多く作ってくれました。国家試験に合格していない時期は、月曜日から木曜日までは午前中だけ仕事、午後は勉強をさせてくれました。金曜日だけが終日勤務で、土日祝日は休みでした。

合格後の経験はどうですか?

2016年に准看護師、2017年に看護師に合格しました。ですが、国家試験に合格した後の方が大変でした。看護師になったら、日本人看護師と同じ責任を担い、患者さんの対応を本格的にしなければならないからです。

具体的にどんなことが大変でしたか?

現場でのコミュニケーションが一番大変でした。医療の技術に共通性があっても、コミュニケーション方法が全く違うので、慣れるまで苦労しました。

まずは方言が理解できませんでした。患者さんをシャワーに案内しようとした時、同僚から「あの人は今日シャワーにいけん」と言われました。日本語の授業では「行けません」「行けない」と習ったので、「いけん」の意味をすぐに理解できませんでした。また、はっきりと発音ができない患者さんとの会話では、相手の言いたいことが正確にわからないときもありました。

病院のスタッフ同士が情報や意見を交換する「カンファレンス」は本当に緊張しました。患者さんの病状について同僚全員の前で報告し、どのようにケアしなければならないかを看護師の立場から説明しました。ベトナムの看護文化ではこうしたカンファレンスが存在しないので戸惑いました。

それは緊張しますね。

間違った日本語を使ってしまうことも怖かったですが、言いたいことを正確に伝えられない場面が大変でした。専門用語が飛び交う会話では、何を話しているのかはっきりと理解できないこともありました。自分が正しく会話を理解しているか、優しい同僚によく相談しました。

「医療の専門用語が飛び交う会話」は日本人でも理解するのが難しい内容ではないでしょうか?

そうですね。新人看護師だった日本人の友人も「カンファレンスは怖い」と困っていました。

日本の病院に勤めて、どんなことが印象に残っていますか?

寝たきり状態だった高齢の患者さんが、車椅子を使わずに歩けるようになるまで回復する姿を見て衝撃を受けました。

重度の褥瘡(じょくそう)患者の方が改善していく過程を見たときは本当に感動しました。一番症状が重いステージ4の患者さんで、始めは軽く触れただけでも痛くてうめき声をあげていました。しかし、その患者さんも治療を経て、歩けるまでに回復したのです。

また、使用する機材を無菌に保ち、清潔・不清潔のエリアを明確に区別する「無菌操作」の質も印象に残っています。ベトナムの現場では空気にほこりが混入している場合もありましたが、日本の無菌操作は厳重に管理されていました。

帰国後の活躍について教えてください。

2018年6月から、人間総合科学大学(埼玉県)と提携している「東京健康科学大学ベトナム」で看護に関する講義を担当しています。

2019年10月からは、ハノイ市にある大学院の修士課程で研究をしています。平日は大学で働き、週末は大学院で研究する生活です。

トヨタプロジェクトについての感想を聞かせてください。

トヨタプロジェクトの一環で作成した、高齢者に対する口腔嚥下ケアの資料は講義で役立っています。ベトナム人の学生にとっては新鮮な情報だと思います。ベトナムでも高齢者は増えていますが、口腔嚥下は日本ほど重要視されていないからです。

日本では誤嚥を防ぐスプーンの使い方や食べ物の選別など専門的な知見がありますが、ベトナムでは食べ物を食べさせるケアは「誰でもできる」という認識が根強く残っています。

日本の病院では、患者さんが誤嚥で窒息しないように、嚥下検査をして、食事の内容を医療専門家が判断します。ベトナムでは、そういった検査がありません。嚥下のリハビリテーションも、日本ほど充実していないのです。

学生さんに日本での経験をどのように伝えていますか?

「日本で働きたい」と話す学生がたくさんいます。「もしチャンスがあれば、ぜひ日本などの外国で働いてみてください。そしていつかベトナムに帰国して、経験を活かしてください」と学生に伝えています。これからも、日本で学んだことや苦労した経験をベトナムの学生に教えていこうと思います。

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